あなたと家族のために心地よい住まいがここある。

 

家を建てようとするとき、ハウスメーカーなどの展示場に脚を運んだり工務店に頼んだりする方が多いかと思います。しかし、建築家に頼むという方法があることを知っていただきたい。建築家に頼む特徴は、住まいづくりのためにプロのアドバイザーを付けるということです。土地探しのアドバイスも含め建て主の代理として客観的な立場で、コストの正当性、工事の正確性を確認します。そして、建て主にあわせたオリジナルな住まいのあり方を一緒に探していくことが出来ます。きっと心地よいと思える住まいがみつかります。

ふとした時にこの家でよかったなあと感じられるくらいがいい。

 

すぐ売れるようにつくった物は、飽きが来てしまいます。洋服や小物とは違い、住まいは永い時間を共にすることになります。家族のあり方や生き方が反映され、静かに佇みながら、家族を見守っていてくれる住まいのあり方について、一緒に考えていきたいと思います。数十年経っても家に帰ってきた時、我が家を見て「この家で良かったな」と思えるように。

 

住まうことに楽しさを感じてもらいたい。

 

家族の生活スタイルが変わっても心地よく居れる場所を見つけられるようにしたい。旅行に出かけたときに偶然目についた小物を季節に合わせて置いてみたくなるような場所であってほしい。旅の楽しみ方もきっと変わってきます。時間が経っても、別の場所に居るときでも、楽しむことに可能性やふくらみを持った住まいを提案できたらと思っています。

 

使い込みながら愛着と共に育つ住まいでありたい。

 

材料についても、時間とともに味わいが増していくような物を使いたい。スペースの取り方も、時間とともに使い方がなじんでいくようにしたい。家は竣工して終わりでなく、住み始めて使い込んでいくうちに完成していく物です。時間とともに手を加えたい箇所も出てくるかと思います。住まい一つ一つ丁寧につくっているからこそのアフターケアーが出来るかと思います。家族と住まいが共に育ち、永く愛着をもって住まいをかわいがっていただくために。

事務所概要

 

名称     :田端建築デザイン事務所

登録     :一級建築士事務所 千葉県知事登録 第1-1505-6386号

保険     :建築士賠償責任補償制度加入

所在地    :〒274-0825

                千葉県船橋市前原西2-4-9

                tel 047-472-3027

                fax 047-407-3690

                e-mail  :  tomoyasu_tabata@t-a-design.com

設立  : 2005年5月

代表  : 田端 友康  (管理建築士)

業務内容: 建築全般の計画・設計・監理及び付帯する一切の業務。

 

田端 友康   Tomoyasu TABATA

 

一級建築士

1968年 東京生まれ

1991年 東京デザイナー学院建築デザイン学科卒

所属団体 日本建築家協会・千葉県建築士会・千葉県建築士事務所協会・日本建築学会

1991〜 DAN建築設計事務所

 

川崎にある事務所で、個人住宅からマンション、ビル、店舗、工場まで様々なプロジェクトを数多く担当させていただきました。建て主との関わり方や工事の人々とのやり取りなど勉強しながら、迷惑をかけることもありましたが、目の前の仕事をひたすらこなしていたといった感じでした。

1998〜 シーザーペリ&アソシエイツ ジャパン

 

アメリカの建築家 シーザーペリの日本でのプロジェクトに関わらせていただきました。「倉吉未来中心(大小コンサートホール・博物館・図書館・公園等の複合施設)」「羽田空港第2旅客ターミナルビル」などを担当しました。どちらも大規模で特殊なプロジェクトで、このような施設の設計をする機会に恵まれたのは貴重な経験で幸福なことでした。多くの人に会い、多くの考えに出会い、たくさんの勉強ができました。

2002〜 モロッコ王国エッサウイラ県庁都市計画部

 

JICA(国際協力機構)の青年海外協力隊員として2年間モロッコで活動しました。県庁の建築家として公共施設の設計や企画を数多く行いました。多くの友人に支えられながらイスラムの国での生活は、スタイルや考えの大きな違いに戸惑いながらも受け入れていくことで、とても刺激的で充実した日々を送れました。人に対して優しくすること、生活を楽しむことなど当たり前のことだけど大切なことを多く学びました。

2005〜 田端建築デザイン事務所 設立

 

モロッコやフランスで生活してみて、羨ましいと思うことは、自分の街に誇りを持っていることでした。日本で事務所を開くにあたって、育った千葉でと思ったのはそれがあります。関わらせていただいたプロジェクトがそれぞれの場所で誇りや自慢の街として育ってく種となるといいなと思います。